今回の旅は、広島市を離れて「呉市」へやって来ました!
呉市と言えば、宇宙戦艦ヤマトのモデルとなった「戦艦大和(せんかんやまと)」が作られた町として世界的に有名ですよね。
じつは私、呉市で産まれてから中学校卒業まで呉市に住んでいたんですよ(笑)
私が呉市から引っ越した後にできた「大和ミュージアム」ですが、実は正式名称があるのをご存知ですか?
正式名称は「呉市海事歴史科学館(くれしかいじれきしかがくかん)」という、言い難い名称なんです!
だから「大和ミュージアム」としての愛称が定着したんでしょうね〜(笑)
ではその「大和ミュージアム」の内部を一部ですがご紹介致しますので、最後までお付き合いをお願いいたします♪
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
店名 | 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) |
住所 | 広島県呉市宝町5−20 |
電話 | 0823-25-3017 |
時間 | 0823-25-3017 |
休み | 火曜日 |
HP | https://yamato-museum.com/ |
マップ |
明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦から60年目にあたる2005年4月23日に開館した。
引用:ウィキペディア
大和ミュージアムの周りは観光名所がいっぱい
「大和ミュージアム」周辺には、呉市の主な観光名所が集まっています。
画像左上の「両城の200階段」は、映画「海猿(うみざる)」のロケ地となった階段ですね!
この「両城の200階段」の麓に「両城小学校(りょうじょうしょうがっこう)」と言う名の小学校があるんですが、そこは私の母校です(笑)
小学生の頃、学校の裏手にある「両城の200階段」を登って友達の家に遊びに行ってましたが、その当時はまさか映画のロケ地になるなんて夢にも思っていませんでしたね〜。
映画「海猿(うみざる)」で主人公たちが酸素ボンベを担いだまま駆け上がるシーンがありましたよね?
「両城の200階段」を登った事がある人なら分かると思いますが、実際にあれやるとマジ地獄ですよホント(汗)
大和ミュージアムの中で戦艦大和に会えます
見てください!この大きい「戦艦大和」の模型!!
模型ってレベルじゃない大きなサイズで、本物の戦艦大和の10分の1のサイズとなっています。
「大和ミュージアム」内に入ると一番最初に出会う「戦艦大和」です♪
大和ミュージアムの中に本物の零戦がありました
今回私が「大和ミュージアム」へ来た際に、一番見たかった展示物がこちらの「零戦(ぜろせん)」です。
戦争当時は「零戦(ぜろせん)」に乗って特攻隊が突撃していた話を聞いたことがありますが、実際に本物の「零戦(ぜろせん)」を見たら、よくこんなペラな飛行機で飛んで行く勇気があったなーと思いました。
当時のお母さんは、息子がこの「零戦(ぜろせん)」に乗って行く姿を見たかどうかは知りませんが、さぞかし心が痛かった事でしょうね。
大和ミュージアム
こちらは「海龍(かいりゅう)」という名の特殊潜航艇の一種で、現在の潜水艦の元となる物です。
本体の下に魚雷を搭載していますが、魚雷を打った後に反動で艦首が持ち上がってしまい、敵に発見されやすかったために任務を果たせずに敵の襲撃に合い撃沈してしまっていた為に、現存しているこちらの「海龍(かいりゅう)」は非常に珍しい物になります。
大和ミュージアム
その他「大和ミュージアム」では戦時中当時の資料や小物なども、説明と一緒に展示されています。
戦時中から近代までの時代の流れを一覧できる展示を読んでみると、戦後の復興がいかに早かったかという事が理解できました。
こういった懐かしの展示品も数点あり、教科書でしか見た事がない様な展示品もあり、当時の生活を見ることができますよ!
いかがでしたでしょうか?
「大和ミュージアム」の建設案が出た当時は「戦争責任」について色々と問題になったそうですが、開館以来大盛況を続けているし、呉市を全国的観光地として有名にさせた立役者でもある「大和ミュージアム」は、呉市が誇れる「海事歴史科学館(かいじれきしかがくかん)」になりました!
JR広島駅からJR呉駅まで最速46分で到着しますので、広島県へ観光に来られた際にはぜひ呉市まで足を運んで頂きたいです♪
戦艦大和にまつわる悲しい話は「戦艦「大和」の真実―悲劇」で書かれています。